JOURNAL ・ 撮影地の記録
常圓寺の枝垂れ桜 ― 摩天楼の足もとに咲く、江戸彼岸
東京・西新宿。ガラスとコンクリートの高層ビルが空を切り取る街の一角に、ふいに、春そのものがあらわれる場所があります。常圓寺の枝垂れ桜。薄紅の花が、滝のように音もなく枝垂れて、摩天楼の冷たい輪郭をやわらかくほどいていきます。江戸の昔から、人々が足を止めてきた一本です。
摩天楼の足もとで、ひとすじの滝になる
はじめてこの桜の前に立ったとき、まず音が消えたことに気づきました。青梅街道を走る車の音も、駅に向かう人の足音も、薄紅の滝の前ではどこか遠くなります。枝垂れ桜は、咲くというより、こぼれ落ちるように咲きます。無数の細い枝が、自らの重さに静かにしたがって弧を描き、その先で花が幾重にもふくらむ。見上げると、背後には硬質なビルのシルエット。やわらかい花と、まっすぐな摩天楼。その対比の中でこそ、桜のいのちのやわらかさが際立つように感じます。心が動くのは、たぶん、この一本がそこに立ち続けているという事実そのものに対してなのだと思います。
江戸からつづく、新宿の名桜
常圓寺の枝垂れ桜は、かつて小石川・伝通院、広尾・光林寺の桜とならんで「江戸三木」とも数えられた、由緒ある名桜と伝えられています。今、私たちが見上げているのはその血を継ぐ三代目とも言われ、江戸の人々が見上げた花のおもかげを、令和のビル街の只中に静かにとどめています。私はふだん救急の現場で時間に追われて過ごしていますが、この桜の前に立つと、流れる時間の速さがまるで違うことに気づかされます。何百年もこの土地で春をくり返してきた一本と、慌ただしく行き交う私たち。その時間の差のなかに身を置くだけで、ふっと呼吸が深くなるのです。
摩天楼は、空を切る。
桜は、その足もとで、静かに春をこぼす。
訪れる方へ ― 見頃
いちばん美しい季節と、お参りの心づもりについて。
見頃は、例年3月下旬ごろ。常圓寺の枝垂れ桜は江戸彼岸(エドヒガン)の系統で、ソメイヨシノよりひと足早く咲きはじめるのが特徴です。満開の時期には夜のライトアップが行われる年もあり、闇に浮かぶ薄紅はまた格別ですが、開花は年によって前後しますので、最新の情報は寺院の案内でお確かめください。なお常圓寺は日蓮宗の現役の寺院です。境内は静かにお参りする場ですから、お墓やお堂に立ち入らない、声を落とす、ご迷惑にならない範囲で撮影するなど、参拝のマナーへのご配慮をお願いいたします。
アクセス
常圓寺は、西新宿の青梅街道沿いにあります。地下鉄丸ノ内線・西新宿駅からはすぐ近く、徒歩1分ほど。JR新宿駅の西口からでも徒歩6分前後、都営大江戸線・新宿西口駅からも徒歩数分の距離です。高層ビル群のただ中にありながら、街路から一歩入ると気配が変わります。駅からの道すがら、見上げるビルが少しずつ桜へと近づいていく、その移り変わりもまた、この場所ならではの楽しみです。
撮影のヒント
この桜の魅力は、なんといっても摩天楼との対比にあります。あえてビルを背景に入れて、やわらかい花と硬い直線を一枚に同居させると、新宿でしか撮れない物語が生まれます。枝垂れの流れを生かすなら、縦構図で枝先の動きを上から下へ追うのがおすすめです。薄紅の花は白く飛びやすいので、露出はわずかに抑えぎみに。曇りの日のやわらかな光は花びらの色を素直に写してくれますし、晴れた日の青空と高層ビルのガラス面を背に入れれば、いっそう都会的な一枚になります。人の少ない早朝の時間帯も、静けさごと写し取るには良い時間です。
あわせて巡りたい
常圓寺から足をのばすなら、すぐ西側の新宿中央公園へ。高層ビルを映す広い空のもと、ゆったりと春の散策が楽しめます。少し歩けば新宿御苑もあり、こちらは桜の種類が豊富で、品種ごとに少しずつ移ろう花の時期を長く楽しめる名所です。摩天楼の足もとの一本桜から、広やかな庭園の桜へ。新宿という街が見せる、春のいくつもの表情をめぐる一日になります。